私が自分の心と向き合うための鏡

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父と話をして、得たものは大きい。
母との関係で悩んで相談した時の「変わるから」という
言葉。仕事のことで落ち込んでしまった時に言われた
「考えようなんだ」とういう言葉。嫌だ嫌だと思っていたら
何もかも嫌になってしまうけど、これを出来るようになろう、
あれも覚えようって思っていれば、それでお金がもらえる
なら幸せだ、って言われて、それもそうだなって思って
前向きになることができた。だから、父にはすごく感謝
している。
私は、嫌なことがあると、心身の不調になってしまったり
して結果的にそこから逃げる、という選択をすることが
多かった。だけど、私は何があってもやれるだけのことを
やれる人になりたい、それだけの強さが自分にあると
今、信じられるようになった。
ゆっくりでいいから、ひとつひとつ、丁寧に越えていこう。
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お兄さんが鬱病になった方が書かれた本に、
「兄にすすめる本を選ぶ際に気をつけたポイント」として、
○肯定的な表現で書かれている本
○体験に基づいて書かれた本
○著者が幸せを感じている本
○がんばっていない本
○読んで楽しい本
○シンプルに書かれている本
と書いてあったのだけれど、これってこのまま
こうありたい自分、とか、こういう人と積極的に付き合い
たい、というのにも置き換えられるな~と最近思った。
がんばらない、の意味がずっとわからなかった私だけど、
最近やっと、がんばらない、って決して怠けることでは
なくて、できることを楽に行うっていうことだったのね、
ということがわかった。
そして、気づいたらなんだかがんばらなくなっていた!
いろいろと、気づくのに時間がかかるけど、私は
わたし時間で生きていこー☆
今月、色彩検定を受けるのだけど、一人でコツコツ
勉強してきたから、終わったらご褒美に何かしたい
と計画中。富士山に登る、というのもいいかな、と
思っている。経験者に話を聞いてみたいなぁ。
「兄にすすめる本を選ぶ際に気をつけたポイント」として、
○肯定的な表現で書かれている本
○体験に基づいて書かれた本
○著者が幸せを感じている本
○がんばっていない本
○読んで楽しい本
○シンプルに書かれている本
と書いてあったのだけれど、これってこのまま
こうありたい自分、とか、こういう人と積極的に付き合い
たい、というのにも置き換えられるな~と最近思った。
がんばらない、の意味がずっとわからなかった私だけど、
最近やっと、がんばらない、って決して怠けることでは
なくて、できることを楽に行うっていうことだったのね、
ということがわかった。
そして、気づいたらなんだかがんばらなくなっていた!
いろいろと、気づくのに時間がかかるけど、私は
わたし時間で生きていこー☆
今月、色彩検定を受けるのだけど、一人でコツコツ
勉強してきたから、終わったらご褒美に何かしたい
と計画中。富士山に登る、というのもいいかな、と
思っている。経験者に話を聞いてみたいなぁ。
軸がぶれて、不安定になっても、私は私であるということを
大切な友人が思い出させてくれた。何度でもちゃんと戻れる
んだということ。
どうしたら不安定な人や弱っている人に巻き込まれなく
なるか、も大事なことかもしれないけど、それでも私は私で
あるということの方が大事、と今思える。
今、とても素晴らしい言葉とまた出会えて、物事に対する
考え方が変わりつつある。その言葉はとても大切なので
私の胸の中にしまっておくことにして、私は光の方を向いて
歩いてゆこう。
信じたい。
絶望的な日々から、ほぼ脱出することができた。
思い通りにならないことだらけでも、願うものにちゃんと
なれると、近づいていると、信じたい。
I先生(これは瞑想を教えて下さった先生。私には先生が
沢山いる!)にお薦めされた「病気じゃないよ、フツーだよ」
(藤臣柊子・著 光文社知恵の森文庫)を読んでみた。
『わし~~でござんす』とかいう文章には驚いたけれど、
これを本当に辛い時に読んだらどうだったかはわからない
けれど、今、読んで良かったと思う。
何もない人生より、色々ある人生の方がいいじゃんって
思った。
例えば私が鬱になって動けなくなるときがあるから、動ける
ときにいっぱい動きたくなっちゃうのも、それもきっと自然
なんだ。
結局、病気との付き合い方にも正解はないから、自分が
納得できるよう色々やってみたっていいんだ。
今日、混んでいる大桟橋にわざわざ行って、灯台の時間
を持てたことも良かった。
何を選んでもいいんだ、私は自由なんだ、って思えた。
涙そうそうをどこか知らない国の言葉で歌っている人が
いたり、大きな陸ガメを散歩させている人がいたり。
(陸ガメは思ったより歩くのが速くてびっくり。)
とにかく、私も、何をしても良いのだし、元気な時になんでも
やってみよう。
絶望的な日々から、ほぼ脱出することができた。
思い通りにならないことだらけでも、願うものにちゃんと
なれると、近づいていると、信じたい。
I先生(これは瞑想を教えて下さった先生。私には先生が
沢山いる!)にお薦めされた「病気じゃないよ、フツーだよ」
(藤臣柊子・著 光文社知恵の森文庫)を読んでみた。
『わし~~でござんす』とかいう文章には驚いたけれど、
これを本当に辛い時に読んだらどうだったかはわからない
けれど、今、読んで良かったと思う。
何もない人生より、色々ある人生の方がいいじゃんって
思った。
例えば私が鬱になって動けなくなるときがあるから、動ける
ときにいっぱい動きたくなっちゃうのも、それもきっと自然
なんだ。
結局、病気との付き合い方にも正解はないから、自分が
納得できるよう色々やってみたっていいんだ。
今日、混んでいる大桟橋にわざわざ行って、灯台の時間
を持てたことも良かった。
何を選んでもいいんだ、私は自由なんだ、って思えた。
涙そうそうをどこか知らない国の言葉で歌っている人が
いたり、大きな陸ガメを散歩させている人がいたり。
(陸ガメは思ったより歩くのが速くてびっくり。)
とにかく、私も、何をしても良いのだし、元気な時になんでも
やってみよう。
今日は絶望的だった。
朝が来て、とても悲しかった。
思うように良くならないこと、明後日名古屋に行けそうに
ないこと、お薬が変わったことさえも、とても憂鬱。
望むものも、他の人たちのいるところも、とても遠く感じる。
ここから出られることは、頭ではわかっている。
だけど、今、とても苦しい。とても悲しい。
夜になると、少し調子は良くなって、こうして日記を書いたり
出来るけれど、明日の朝が恐い。
もう、絶望的な朝は迎えたくない。
朝が来て、とても悲しかった。
思うように良くならないこと、明後日名古屋に行けそうに
ないこと、お薬が変わったことさえも、とても憂鬱。
望むものも、他の人たちのいるところも、とても遠く感じる。
ここから出られることは、頭ではわかっている。
だけど、今、とても苦しい。とても悲しい。
夜になると、少し調子は良くなって、こうして日記を書いたり
出来るけれど、明日の朝が恐い。
もう、絶望的な朝は迎えたくない。
