私が自分の心と向き合うための鏡

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人の目。世間の声。~~すべきっていう常識的な意見。
こういうもの捨てて、本当に自由なこころで生きたい。
28年間で沢山抱え込んだお荷物を、一つ一つ、勇気を持って
手放していくこと。それがこれからの私の、なすべきことだと思う。
こういうもの捨てて、本当に自由なこころで生きたい。
28年間で沢山抱え込んだお荷物を、一つ一つ、勇気を持って
手放していくこと。それがこれからの私の、なすべきことだと思う。
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どうして、なんども見失うんだろう。
どうして、なんどでも、見つけるんだろう。
足元のしあわせ。
またきっと見失い、またきっと見つける。
なんどでも、繰り返すんだろうな。
いつだって、そこにあるのに。
どうして、なんどでも、見つけるんだろう。
足元のしあわせ。
またきっと見失い、またきっと見つける。
なんどでも、繰り返すんだろうな。
いつだって、そこにあるのに。
最近、どんな30歳になりたいか、をよく考えている。
それを母に言ったら、考えるならどんな40歳になりたいかを
考えたら?10年後のことを考えないと、と言われたけれど・・。
恥ずかしいことに、二十歳の時もそうだったけど、その時を
良くすることで精一杯で、目先のことで精一杯で、一年後、
五年後、十年後のことを考える余裕がなかった。
きっかけは、30歳になったらラルフローレンを着る、と
決めていたknyが、先月30歳になってから、ラルフローレンの
靴や服をほんとに買って、着て、満足そうにしていて、そういうの
があるのいいなって思った。私そういうのないな~って・・。
でも、考え出すと、色々出てきて、楽しい。
五年後や十年後のことも考えられそう。
今月、28歳の誕生日を迎える私の目標は、夢を持ち、
夢を与えられる人になること。自分に満足していたい。
人間て、いつからでも、いつまででも夢を持つことが出来る。
人間て素敵。年を重ねていくことって素敵。
それを母に言ったら、考えるならどんな40歳になりたいかを
考えたら?10年後のことを考えないと、と言われたけれど・・。
恥ずかしいことに、二十歳の時もそうだったけど、その時を
良くすることで精一杯で、目先のことで精一杯で、一年後、
五年後、十年後のことを考える余裕がなかった。
きっかけは、30歳になったらラルフローレンを着る、と
決めていたknyが、先月30歳になってから、ラルフローレンの
靴や服をほんとに買って、着て、満足そうにしていて、そういうの
があるのいいなって思った。私そういうのないな~って・・。
でも、考え出すと、色々出てきて、楽しい。
五年後や十年後のことも考えられそう。
今月、28歳の誕生日を迎える私の目標は、夢を持ち、
夢を与えられる人になること。自分に満足していたい。
人間て、いつからでも、いつまででも夢を持つことが出来る。
人間て素敵。年を重ねていくことって素敵。
最近、こどもの頃のような自由な部分を、取り戻している。
いや、こども程不自由なものはない、とも思うけど。
大人になって、自由になった部分もたくさんあったけど、
先入観持たずに、見れたり、感じられたり、そういう部分を
だいぶ失っていたと思う。
暗闇や一人がこわくなくなった(というか慣れた)分、出来事や
人の言葉によって、こわくなったものは増えた。
その中でも、私の中で、大きな部分占めていたもの、こないだの
脈診を機に、取れたみたいです。すごい!
本来の私は、人が誰でもかれでも大好きみたい。
頭の中に浮かんだこと、考えるよりも先に口に出しちゃう人みたい。
どんどん外に表現したい人みたい。
そういうことにかけていたブレーキを、外してもらった。
今、自由をすごく感じる。新しい自分というよりは、本当に
取り戻しているかんじ。
いつのまにか作り上げられた「自分」。まだ未知な部分が
あるんだろうな~。それを知っていくことは、楽しいし、
ずっと置いてきぼりにして忘れ去っていた自分と、また
出逢えることは、とても嬉しいこと。
6年前に来た、「どん底」がまた来ることを恐れていたけれど、
もうどん底は来ないことがわかった。
その時、どうしてそこまでになったのかよく覚えていなくて、ただただ、
また来たら嫌だ!とずっと思っていたのだけれど、当時と同じような状況が
再びやってきて、私ってこんなことで生きることやめようとしていたの!?
と、すごくすごく自分が情けない人間ってことがよーくわかった。
本当に自分に呆れたし、がっかりした。
私は物事考えることが苦手で、短絡的にしか考えられないし、
人の気持ちってものも、よく分らないのだと思う。
よくそんなでここまで生きてこられたのは、迷惑かけても助けてくれたり
支えてくれたりする、人の手があったから。
自分が本当にしょうもない人間だって再びわかってしまって、でも
今度は、もう開き直るしかなかった。しょうがないやって思う。
人に呆れられて見放されていっても、でも自分だけは見放さない
とも、今はしっかり思う。
どん底は、もう来ない。何も恐れるものはないのかもしれない。
もうどん底は来ないことがわかった。
その時、どうしてそこまでになったのかよく覚えていなくて、ただただ、
また来たら嫌だ!とずっと思っていたのだけれど、当時と同じような状況が
再びやってきて、私ってこんなことで生きることやめようとしていたの!?
と、すごくすごく自分が情けない人間ってことがよーくわかった。
本当に自分に呆れたし、がっかりした。
私は物事考えることが苦手で、短絡的にしか考えられないし、
人の気持ちってものも、よく分らないのだと思う。
よくそんなでここまで生きてこられたのは、迷惑かけても助けてくれたり
支えてくれたりする、人の手があったから。
自分が本当にしょうもない人間だって再びわかってしまって、でも
今度は、もう開き直るしかなかった。しょうがないやって思う。
人に呆れられて見放されていっても、でも自分だけは見放さない
とも、今はしっかり思う。
どん底は、もう来ない。何も恐れるものはないのかもしれない。
