私が自分の心と向き合うための鏡

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色々、思い悩みながら日々過ごしているけれど、自然は
どんな時も変わらずそこにあって、そのことがとても心強い。
いつも、私は、変わらずある自然の姿に支えられて生きて
きたように思う。
昨日、お気に入りの散歩コース(山のようになっている
家の裏の坂を登り、中学校の前を通り、公園の中を散歩
する)を歩いていたら、桜吹雪のように桜が舞っていた。
昨年は、散る桜を見てとても切ない気持ちになったのだ
けれど、今年は、ただ「綺麗」と思った。
と同時に、ずっと昔の光景が急に心に蘇った。
ずっと小さかった時、ひいおばあちゃんのいる老人ホーム
かどこかを家族で訪ねて行った時、外に桜の木があって
姉と二人で、「桜の花びらを掴むと幸せになれるんだよ」
みたいなことを言って、夢中になって散る桜の花びらを
掴もうとしていた時のこと。急にその時の光景が脳裏に
蘇った。ひいおばあちゃんのことは何も思い出せないのに。
あの時、小さな手で、桜の花びらを掴むことはできたの
かなぁ。
どんな時も変わらずそこにあって、そのことがとても心強い。
いつも、私は、変わらずある自然の姿に支えられて生きて
きたように思う。
昨日、お気に入りの散歩コース(山のようになっている
家の裏の坂を登り、中学校の前を通り、公園の中を散歩
する)を歩いていたら、桜吹雪のように桜が舞っていた。
昨年は、散る桜を見てとても切ない気持ちになったのだ
けれど、今年は、ただ「綺麗」と思った。
と同時に、ずっと昔の光景が急に心に蘇った。
ずっと小さかった時、ひいおばあちゃんのいる老人ホーム
かどこかを家族で訪ねて行った時、外に桜の木があって
姉と二人で、「桜の花びらを掴むと幸せになれるんだよ」
みたいなことを言って、夢中になって散る桜の花びらを
掴もうとしていた時のこと。急にその時の光景が脳裏に
蘇った。ひいおばあちゃんのことは何も思い出せないのに。
あの時、小さな手で、桜の花びらを掴むことはできたの
かなぁ。
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