私が自分の心と向き合うための鏡

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信じたい。
絶望的な日々から、ほぼ脱出することができた。
思い通りにならないことだらけでも、願うものにちゃんと
なれると、近づいていると、信じたい。
I先生(これは瞑想を教えて下さった先生。私には先生が
沢山いる!)にお薦めされた「病気じゃないよ、フツーだよ」
(藤臣柊子・著 光文社知恵の森文庫)を読んでみた。
『わし~~でござんす』とかいう文章には驚いたけれど、
これを本当に辛い時に読んだらどうだったかはわからない
けれど、今、読んで良かったと思う。
何もない人生より、色々ある人生の方がいいじゃんって
思った。
例えば私が鬱になって動けなくなるときがあるから、動ける
ときにいっぱい動きたくなっちゃうのも、それもきっと自然
なんだ。
結局、病気との付き合い方にも正解はないから、自分が
納得できるよう色々やってみたっていいんだ。
今日、混んでいる大桟橋にわざわざ行って、灯台の時間
を持てたことも良かった。
何を選んでもいいんだ、私は自由なんだ、って思えた。
涙そうそうをどこか知らない国の言葉で歌っている人が
いたり、大きな陸ガメを散歩させている人がいたり。
(陸ガメは思ったより歩くのが速くてびっくり。)
とにかく、私も、何をしても良いのだし、元気な時になんでも
やってみよう。
絶望的な日々から、ほぼ脱出することができた。
思い通りにならないことだらけでも、願うものにちゃんと
なれると、近づいていると、信じたい。
I先生(これは瞑想を教えて下さった先生。私には先生が
沢山いる!)にお薦めされた「病気じゃないよ、フツーだよ」
(藤臣柊子・著 光文社知恵の森文庫)を読んでみた。
『わし~~でござんす』とかいう文章には驚いたけれど、
これを本当に辛い時に読んだらどうだったかはわからない
けれど、今、読んで良かったと思う。
何もない人生より、色々ある人生の方がいいじゃんって
思った。
例えば私が鬱になって動けなくなるときがあるから、動ける
ときにいっぱい動きたくなっちゃうのも、それもきっと自然
なんだ。
結局、病気との付き合い方にも正解はないから、自分が
納得できるよう色々やってみたっていいんだ。
今日、混んでいる大桟橋にわざわざ行って、灯台の時間
を持てたことも良かった。
何を選んでもいいんだ、私は自由なんだ、って思えた。
涙そうそうをどこか知らない国の言葉で歌っている人が
いたり、大きな陸ガメを散歩させている人がいたり。
(陸ガメは思ったより歩くのが速くてびっくり。)
とにかく、私も、何をしても良いのだし、元気な時になんでも
やってみよう。
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今日は絶望的だった。
朝が来て、とても悲しかった。
思うように良くならないこと、明後日名古屋に行けそうに
ないこと、お薬が変わったことさえも、とても憂鬱。
望むものも、他の人たちのいるところも、とても遠く感じる。
ここから出られることは、頭ではわかっている。
だけど、今、とても苦しい。とても悲しい。
夜になると、少し調子は良くなって、こうして日記を書いたり
出来るけれど、明日の朝が恐い。
もう、絶望的な朝は迎えたくない。
朝が来て、とても悲しかった。
思うように良くならないこと、明後日名古屋に行けそうに
ないこと、お薬が変わったことさえも、とても憂鬱。
望むものも、他の人たちのいるところも、とても遠く感じる。
ここから出られることは、頭ではわかっている。
だけど、今、とても苦しい。とても悲しい。
夜になると、少し調子は良くなって、こうして日記を書いたり
出来るけれど、明日の朝が恐い。
もう、絶望的な朝は迎えたくない。
先週、何も出来ないくらいに辛い日が5日間くらい続い
た。先月もそういう時があって、どうも瞑想を始めてから
のストレス解消によるものかもしれないみたいだ。
もう二回そういうのを経験したから、次来た時はもっと
大丈夫だと思う。
だけど落ち込んだおかげで素敵な本と出会えた。
曽野綾子さんの「うつを見つめる言葉」という本。
不眠とうつに8年間苦しみ、今は脱出したという曽野さん
の言葉は、心に染みた。
「できることを、できる時に、できるだけ、できるやり方で
やる」
自然体で、できることだけをおもしろがってやること。
私も、もううつ病になってから6年。脱出するヒントを
この本の中の言葉からいただいた。
気がつけばここ2ヶ月、苦しい時も精神科の先生には
相談せずに立ち直れた。いい方向に向かっていると思う。
苦しい時に、光となって照らしてくれる人もいた。
いつか私の苦しみも、誰かの光となりますように・・。
色々、思い悩みながら日々過ごしているけれど、自然は
どんな時も変わらずそこにあって、そのことがとても心強い。
いつも、私は、変わらずある自然の姿に支えられて生きて
きたように思う。
昨日、お気に入りの散歩コース(山のようになっている
家の裏の坂を登り、中学校の前を通り、公園の中を散歩
する)を歩いていたら、桜吹雪のように桜が舞っていた。
昨年は、散る桜を見てとても切ない気持ちになったのだ
けれど、今年は、ただ「綺麗」と思った。
と同時に、ずっと昔の光景が急に心に蘇った。
ずっと小さかった時、ひいおばあちゃんのいる老人ホーム
かどこかを家族で訪ねて行った時、外に桜の木があって
姉と二人で、「桜の花びらを掴むと幸せになれるんだよ」
みたいなことを言って、夢中になって散る桜の花びらを
掴もうとしていた時のこと。急にその時の光景が脳裏に
蘇った。ひいおばあちゃんのことは何も思い出せないのに。
あの時、小さな手で、桜の花びらを掴むことはできたの
かなぁ。
どんな時も変わらずそこにあって、そのことがとても心強い。
いつも、私は、変わらずある自然の姿に支えられて生きて
きたように思う。
昨日、お気に入りの散歩コース(山のようになっている
家の裏の坂を登り、中学校の前を通り、公園の中を散歩
する)を歩いていたら、桜吹雪のように桜が舞っていた。
昨年は、散る桜を見てとても切ない気持ちになったのだ
けれど、今年は、ただ「綺麗」と思った。
と同時に、ずっと昔の光景が急に心に蘇った。
ずっと小さかった時、ひいおばあちゃんのいる老人ホーム
かどこかを家族で訪ねて行った時、外に桜の木があって
姉と二人で、「桜の花びらを掴むと幸せになれるんだよ」
みたいなことを言って、夢中になって散る桜の花びらを
掴もうとしていた時のこと。急にその時の光景が脳裏に
蘇った。ひいおばあちゃんのことは何も思い出せないのに。
あの時、小さな手で、桜の花びらを掴むことはできたの
かなぁ。
久しぶりにご飯を食べるのも忘れて、読書に没頭して
しまった。江國香織さんの「思いわずらうことなく愉しく
生きよ」に。タイトルは、三姉妹の育った犬山家の家訓。
三姉妹は、もう十分に大人で、それぞれが別の場所で
別々の生活を送り、それぞれの結婚生活や恋愛を、して
いる。三姉妹に、それぞれ共感、というか感情移入して
一気に読んでしまった。そして、読んだ後、とても
すっきりした気持ちになった。
江國さんの小説の中でも、とりわけ大切な一冊に
なった。
私も、強くのびやかに、思いわずらうことなく愉しく、
生きていきたい。
この本に出会えて良かった。
しまった。江國香織さんの「思いわずらうことなく愉しく
生きよ」に。タイトルは、三姉妹の育った犬山家の家訓。
三姉妹は、もう十分に大人で、それぞれが別の場所で
別々の生活を送り、それぞれの結婚生活や恋愛を、して
いる。三姉妹に、それぞれ共感、というか感情移入して
一気に読んでしまった。そして、読んだ後、とても
すっきりした気持ちになった。
江國さんの小説の中でも、とりわけ大切な一冊に
なった。
私も、強くのびやかに、思いわずらうことなく愉しく、
生きていきたい。
この本に出会えて良かった。
