私が自分の心と向き合うための鏡

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6年前に来た、「どん底」がまた来ることを恐れていたけれど、
もうどん底は来ないことがわかった。
その時、どうしてそこまでになったのかよく覚えていなくて、ただただ、
また来たら嫌だ!とずっと思っていたのだけれど、当時と同じような状況が
再びやってきて、私ってこんなことで生きることやめようとしていたの!?
と、すごくすごく自分が情けない人間ってことがよーくわかった。
本当に自分に呆れたし、がっかりした。
私は物事考えることが苦手で、短絡的にしか考えられないし、
人の気持ちってものも、よく分らないのだと思う。
よくそんなでここまで生きてこられたのは、迷惑かけても助けてくれたり
支えてくれたりする、人の手があったから。
自分が本当にしょうもない人間だって再びわかってしまって、でも
今度は、もう開き直るしかなかった。しょうがないやって思う。
人に呆れられて見放されていっても、でも自分だけは見放さない
とも、今はしっかり思う。
どん底は、もう来ない。何も恐れるものはないのかもしれない。
もうどん底は来ないことがわかった。
その時、どうしてそこまでになったのかよく覚えていなくて、ただただ、
また来たら嫌だ!とずっと思っていたのだけれど、当時と同じような状況が
再びやってきて、私ってこんなことで生きることやめようとしていたの!?
と、すごくすごく自分が情けない人間ってことがよーくわかった。
本当に自分に呆れたし、がっかりした。
私は物事考えることが苦手で、短絡的にしか考えられないし、
人の気持ちってものも、よく分らないのだと思う。
よくそんなでここまで生きてこられたのは、迷惑かけても助けてくれたり
支えてくれたりする、人の手があったから。
自分が本当にしょうもない人間だって再びわかってしまって、でも
今度は、もう開き直るしかなかった。しょうがないやって思う。
人に呆れられて見放されていっても、でも自分だけは見放さない
とも、今はしっかり思う。
どん底は、もう来ない。何も恐れるものはないのかもしれない。
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春に、ソースの生活をして、いろんなわくわくを取り戻した時に
出合えた仕事を、今月初めに辞めた。
8月にアーユルヴェーダの脈診を受けた時に、心臓のピッタが
弱って、身体が冷えていると指摘をされた。真夏なのに身体は
本当に冷えて、食欲もなかった。この前姉にリフレクソロジーを
してもらった時にも身体が冷えていて、久しぶりに半身浴をしたら、
冬に熱いお湯に入った時のように体とお湯の温度差があって
びっくりした。
それで、ようやく冷え切った自分の体と心とちゃんと向かい合って、
元気になっていこうと思った。
心臓のピッタは、願望が叶わなかいままだったりすると弱って
しまうらしい。今は、どうして、その仕事をしていて、心の満足が
得られなかったのか、よくわからないでいる。私が、とてもわくわく
することだったはずなのに。人との接触がほとんどないから、プラスの
ストロークが得られなかったのかな?とか、じーっと仕事するのが
合わなかったのかな、とか考えてみても、本当のところなんなのか、
わからない。
とりあえず今できること。H先生の診察を予約した。それまでの間
どのように過ごしたらいいか、アドバイスをいただいた。
そして、不安でいっぱいの私が安心して心の内を表せる場所を
考えた時に、もう一度、この、「鏡」に書いていこうと思った。
リアルではないけれど、ここは、私にとって、安全な場所だから。
今日、心がふわって嬉しくなる瞬間もあった。
夕飯のポテトサラダを作って冷蔵庫に入れてある、という置き手紙を
見た時に、ずっと前に、knyが「夜ごはんはポストサラダ」ってメール
に入れてきて、どうしてポストなの?って聞いたら、ポテトって打とうと
したら変換に最初にポストが出てきたからって言っていた時のこと
思い出して、おかしかった。本当に面倒くさがり屋さんだなぁって。
あと、バッグの中身を移したら、姉と温泉に行った時に、送迎バスの
運転手さんがくれた飴が出てきて、その時のことを思い出して、
嬉しかった。
夜、あまりに不安が強くて、部屋にこもって久しぶりにミシンを使ったら
調子よく使えて、掛け布団カバー(すぐ布団から外れちゃう)を直せた。
そうしたら、心が落ち着いて、このブログを書くことを思い出せた。
ものづくりの仕事は続けられなかったけれど、こうして、ものを
作ることで喜びが得られる私自身はきっと変わらない。
鏡。何度でも私を映して下さい。
出合えた仕事を、今月初めに辞めた。
8月にアーユルヴェーダの脈診を受けた時に、心臓のピッタが
弱って、身体が冷えていると指摘をされた。真夏なのに身体は
本当に冷えて、食欲もなかった。この前姉にリフレクソロジーを
してもらった時にも身体が冷えていて、久しぶりに半身浴をしたら、
冬に熱いお湯に入った時のように体とお湯の温度差があって
びっくりした。
それで、ようやく冷え切った自分の体と心とちゃんと向かい合って、
元気になっていこうと思った。
心臓のピッタは、願望が叶わなかいままだったりすると弱って
しまうらしい。今は、どうして、その仕事をしていて、心の満足が
得られなかったのか、よくわからないでいる。私が、とてもわくわく
することだったはずなのに。人との接触がほとんどないから、プラスの
ストロークが得られなかったのかな?とか、じーっと仕事するのが
合わなかったのかな、とか考えてみても、本当のところなんなのか、
わからない。
とりあえず今できること。H先生の診察を予約した。それまでの間
どのように過ごしたらいいか、アドバイスをいただいた。
そして、不安でいっぱいの私が安心して心の内を表せる場所を
考えた時に、もう一度、この、「鏡」に書いていこうと思った。
リアルではないけれど、ここは、私にとって、安全な場所だから。
今日、心がふわって嬉しくなる瞬間もあった。
夕飯のポテトサラダを作って冷蔵庫に入れてある、という置き手紙を
見た時に、ずっと前に、knyが「夜ごはんはポストサラダ」ってメール
に入れてきて、どうしてポストなの?って聞いたら、ポテトって打とうと
したら変換に最初にポストが出てきたからって言っていた時のこと
思い出して、おかしかった。本当に面倒くさがり屋さんだなぁって。
あと、バッグの中身を移したら、姉と温泉に行った時に、送迎バスの
運転手さんがくれた飴が出てきて、その時のことを思い出して、
嬉しかった。
夜、あまりに不安が強くて、部屋にこもって久しぶりにミシンを使ったら
調子よく使えて、掛け布団カバー(すぐ布団から外れちゃう)を直せた。
そうしたら、心が落ち着いて、このブログを書くことを思い出せた。
ものづくりの仕事は続けられなかったけれど、こうして、ものを
作ることで喜びが得られる私自身はきっと変わらない。
鏡。何度でも私を映して下さい。
昨日、とても大好きな場所で、素敵なことがあって、私はその中に
いて、静まった心の中から、「生きててよかった」っていう想いが沸いて
きた。
あんな風に「生きててよかった」って想いがそのまま心の中で言葉に
なって、自分でも驚いたけれど、後から思い返した時に、浮かんで
きたのが、藤沢優月さんだった。
優月さんのブログを、今見て、なにかが繋がったような気がした。
今の私にすごくしっくりくることが書かれていた。
今までも素敵な方だと思っていたけれど、ますます、本当に素敵な
方だなぁって思った。
勇気のような、優しさのような、あたたかさのような、そんな気持ちで、
今、いっぱい。
いて、静まった心の中から、「生きててよかった」っていう想いが沸いて
きた。
あんな風に「生きててよかった」って想いがそのまま心の中で言葉に
なって、自分でも驚いたけれど、後から思い返した時に、浮かんで
きたのが、藤沢優月さんだった。
優月さんのブログを、今見て、なにかが繋がったような気がした。
今の私にすごくしっくりくることが書かれていた。
今までも素敵な方だと思っていたけれど、ますます、本当に素敵な
方だなぁって思った。
勇気のような、優しさのような、あたたかさのような、そんな気持ちで、
今、いっぱい。
夏が好きだから、夏が終わる頃はいつも寂しくなる。
今年も・・だったけれど、秋は秋で食べ物の美味しい季節だしっ、と
気持ちを切り替えました。
昨日は、お散歩好きの友人と連れだってのお散歩の会。
前からしたかったことで、記念すべき第一回目は、都内散歩。
護国寺から始まる、寺院、庭園、洋館巡り。
大きな道路が走っているすぐ横で、でも一歩中に入れば、静かで、緑が
沢山あって、突然別世界になってしまう。都内散歩の魅力。
地図で言えば近くをうろうろしていただけになるのだけれど、一日中
歩いて、まるで旅をした気分になった。
昨日は秋の空で、きれいな青空だった。
そして今日は、秋野菜づくりのはじまり。
ニンニク、ワイルドストロベリー、スナックエンドウを植えることにして、
今日はニンニクとワイルドストロベリーを植えた。
土壌改善とか色々工夫が必要なので、それもまた楽しみ。
私がずっと好きだったMisiaの言葉。
be yourself!
because・・・・
Your life is all yours!
私は、周りから見て、それがどんなにヘンテコでおかしくても、
私らしく生きていきたいと思う。
